暮らしの中の引っかかり ~人との間で疲れる理由~
第1回 緩衝材みたいだと思った日

人と人の間に入って、疲れることがあります。

誰かが怒っている。誰かが困っている。誰かが納得していない。そのままにしておくと話がこじれそうで、つい間に入ってしまうことがあります。

先日も、電話を切ったあとに妙な疲れが残りました。

相手は少し落ち着いていました。最初はかなり感情的だったのですが、話を聞いているうちに少しずつ声のトーンが下がっていったのです。話もまとまり、その場としては悪くない終わり方だったと思います。

それなのに、なぜかこちらは疲れていました。

人と人の間に入る役割

その場では冷静だったのです。

相手の話を聞いて、状況を整理して、別の見方を伝える。感情的にならないように気をつけながら、話がこれ以上こじれないようにしていました。

こういうことは仕事でも、プライベートでもあります。誰かと誰かの間に入り、話を整理し、空気をやわらげる。

そういう役割をすることがあります。

嫌いな役割ではありません。話が落ち着いていくのを見ると、少し役に立てた気もします。

でも、ふと思うことがあります。

私、緩衝材みたいだな。

緩衝材として使われている感じ

緩衝材は、物と物がぶつからないように間に入ります。

人間関係でも、似たようなことがあります。誰かの怒りと、誰かの事情。誰かの不満と、誰かの言い分。その間に入って、衝撃をやわらげる。

必要な役割なのかもしれません。

でも、ときどき思うのです。

頼られているのか。便利に使われているのか。必要とされているのか。都合よく挟まれているだけなのか。

その境目が、よく分からなくなることがあります。

あとから疲れが出てくる

電話を切ったときは何ともありませんでした。相手も落ち着いたし、話もまとまった。これでよかったと思っていました。

ふっと大きくため息をついて、コーヒーを淹れたときです。

急に力が抜けました。

「あの言い方はなかったよね」

「それは違うでしょう」

その場では出てこなかった言葉が、時間差で頭の中を回り始めます。

そのときになって初めて、自分も傷んでいたのかもしれないと気づくことがあります。

自分の気持ちはどこへ行くのだろう

人と人の間に入っていると、自分の感情は後回しになります。

相手が落ち着くこと。話が前に進むこと。場が壊れないこと。そういうことを優先しているうちに、自分が何を感じていたのか分からなくなることがあります。

年齢のせいなのか、仕事柄なのか、それとも昔からそうだったのかは分かりません。

ただ、人の感情や場の空気を受け止めることには慣れたのに、自分の感情を置く場所は、まだうまく見つけられない気がします。

緩衝材がなければ、壊れてしまうものもあるのでしょう。

でも、緩衝材だって、ときどきは傷みます。

最近、そんなことを考えます。


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人との認識のズレについては、こちらのシリーズでも書いています。

▶ 『ちゃんと伝えた“つもり”』第1回「前にも言ったよね?」


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