
暮らしの中の引っかかり ~人との間で疲れる理由~
第3回 やらない人の方が楽そうに見える日
結婚していた頃の話です。
元夫の実家は田舎にあり、お盆やお正月になると親族が大勢集まりました。子どもから大人まで集まると、40人近くになることもあります。
仕出し料理は頼んでいましたが、それだけでは足りません。お酒を飲む人のつまみになりそうなもの、子どもたちが喜びそうなものを考えながら、私は毎回買い物をして料理を作っていました。
前日から下ごしらえをして、当日の朝に仕上げることもありました。
義母はお金を渡してくれます。
私は聞きます。
「何を作りましょうか?」
すると返ってくるのは決まって、
「なんでもいいよ」
でした。
任せると言われると断れない
今なら分かります。
義母にしてみれば信頼してくれていたのかもしれません。私なら何とかしてくれると思っていたのでしょう。
でも当時の私は、何を作るか、どれくらい買うか、どのくらいの量が必要かを一人で考えていました。
大型スーパーのカートを押しながら、頭の中では人数を数えています。子どもは何人だったか。お酒を飲む人は何人だったか。これで足りるだろうか。
誰も文句を言わないように。足りなくならないように。
そんなことばかり考えていました。
決める人のところに責任も集まる
買い物が終わると、レシートとお釣りを義母に渡します。
その時に言われた言葉が今でも残っています。
「美和さん、食べ物にお金かけるとお金はたまらんよ」
悪気はなかったのだと思います。
節約を大切にする人でしたし、家計を預かってきた人の実感だったのでしょう。
でも、その言葉を聞いた時、少しだけ力が抜けました。
何を作るかは任せる。
買い物も任せる。
準備も任せる。
でも、使ったお金については注意される。
その時は何も言いませんでした。
ただ心の中で、
だったら最初から決めてくれたらいいのに。
そう思ったのを覚えています。
やらない人の方が楽そうに見える理由
その頃、義理の姉や義理の妹、夫は親族と楽しそうに話をしていました。
私は台所と居間を行ったり来たりしながら、料理を並べたり片付けたりしていました。
同じ立場のお嫁さんたちからは、
「大変やね」
と声をかけられることもありました。
だからといって誰かが悪いわけではありません。
親族が集まることを楽しみにしていた人もいたでしょうし、それぞれに役割があったのでしょう。
それでも、ときどき思うのです。
やらない人の方が楽そうだな、と。
何を作るか考えなくていい。
足りるか心配しなくていい。
失敗した時に責任を感じなくていい。
その気楽さが少しだけうらやましくなる日があります。
それでも、たぶん私はまた動いてしまうのでしょう。
気になるから。
放っておけないから。
そして気がつくと、また「なんでもいいよ」の続きを考えている気がします。
最近、そんなことを思い出しました。
関連記事
投稿者プロフィール

最新の投稿
暮らしの中の引っかかり2026年7月17日第6回 食べてみないと、わからない。
ちゃんとつたえたつもり“”2026年7月14日第6回 ちゃんと伝えることがゴールではない
暮らしの中の引っかかり2026年7月10日第5回 せっかくだから、寄って帰ろう。
ちゃんとつたえたつもり“”2026年7月7日第5回 『今日中』が伝わらなかった理由



